こんにちは、はじめまして。【にこ】です。
このブログでは、私が歩んできた妊活の記録と、
そこから学んだこと、感じたことを綴っていきます。
今日はまず、「これまでの私の歩み」を振り返ってみようと思います。
少し長くなりますが、どこかで誰かの励ましや、共感のきっかけになれたらうれしいです。
2019年
3月3日:プロポーズされました。
5月1日:「令和」スタートと共に入籍。
12月:新しい生活の始まり、引っ越し。
2020年
7月:ハワイで挙げる予定だった結婚式がコロナで延期に。
かわりに宮古島で前撮り旅行。
8月:妊活スタート。
けれど…
10月下旬:自然妊娠するも、化学流産という結果に。子宮頚がんは異常なし。
2021年
10月:再び自然妊娠しましたが、子宮内容物除去術を受けることに。
この頃から、「妊娠する」ということの難しさを実感し始めます。
2022年
2月:自分の体を調べてもらおう。
そう考え、職場近くの不妊治療専門の病院を受診。
血液検査に問題はなく
「海外の人なんかは毎日してるって言いますしね!まぁ回数ですね!」と。
虚しさのあまり泣く。
感情の整理がつかず、受付で高額支払い。
心ない対応で、絶対行くか。と誓う。。
6月:実家に近いARTクリニックの受診。
旦那は、初めての精液検査。そこで思いもよらぬ、男性不妊がわかる。
結果は、乏精子症・精子無力症がわかる。
すぐにでも体外受精を勧められ生殖医療がスタートした。
さいわい 精子は実在し、動いているという事実は分かった。
8月:排卵手術
10月:体外受精 胚移植 1回目
12月:自然流産
2023年
2月:体外受精 胚移植 2回目 胎嚢確認
無事クリニック卒業
5月:頭痛、嘔吐、高血圧、、
かかりつけの産婦人科では産めないため、大学病院に緊急受診になる。
“高血圧合併妊娠” の診断 入院。
それからの日々は気を抜けない毎日でしたが、
10月:予定日より1ヶ月と少し早く、緊急帝王切開で、第一子女の子が誕生しました。
出産は壮絶で、
週数を稼ぐためにNFICUでたくさんの点滴をつけ、
血液からいろんなものが漏れ出し、肺水腫も合併した。
術中「このままだと子宮取るかもしれません。」と医師に告げられ、恐怖。
生まれてきてくれた我が子と3日後に対面する。
カンガルーケア?とやらのことは経験できなかった。
※また出産の体験談や、産後の血圧の管理や、
二人目に向けての心の変化や身体のことも載せていきますね。
2024年
11月:体外受精 胚移植 3回目→ 出血
12月:体外受精 胚移植 4回目→ 陰性
12月末:凍結していた卵ちゃんもなくなり大学病院に転院を決意。
再スタート。
2025年
1月:夫婦で精密検査と説明を受ける。
漢方療法とはじめての一般不妊治療に取り組むことに。
3月:人工受精 1回目→はじめはフライング検査で陰性
4月:しかし…もう一度試みた 妊娠検査薬で陽性反応!!
4月中旬:家族で一回目の受診。
医師たちの様子がおかしい
「ん〜。胎嚢がみえないねぇ。」闇の中に突き落とされた気分だった。」
エコーで心拍確認はできた。
わたしは お腹の赤ちゃんの未来を奪ってしまった。
異所性妊娠(子宮外妊娠)と診断。緊急手術のため入院。
このようなことが起こってから思うことは、
原因はきっと男性不妊だから。と、どこかで責任転換していたのかもしれない。
すべての治療を始める前に自分の身体のこと。
子宮のこと。
詳しく調べていなかった。。。
卵管造影をしておけばな。。
医者は言ってくれない。
自分から聞かないと。気づけなかった。
自らの身体にメスを入れ、いままさに思うことだ。
妊活は、出口の見えないトンネルのように感じることもあります。
今、こうして少しずつ気持ちが整理できてきたからこそ、
この記録を「私だけのもの」にせず、誰かに届けたいと強く思いました。
私が感じたこと、経験したことが、
どこかで誰かの”小さな灯り”になればと願っています。
これからも、どうぞよろしくお願いします☺️
